独白集

今は主にエッセイを書いています。

教え育むことについて

 保活、という言葉を知っているだろうか。
 子どもを保育園に入れるための活動、略して「保活」である。私は自分が子を持つまで知らなかった。
 人口の多い都会に暮らす親たちは、保育園の「椅子取りゲーム」に勝利すべく必死に情報戦を繰り広げている。近年はコロナウィルスのせいで預け控えの傾向があったり、子どもの人数自体が減ったりしているために、以前と比べたら待機児童は減ったそうだが、それでも希望する保育園に容易く子どもを預けられるような状態ではないだろう。
 
 転勤先で知り合った夫と結婚した私は、住んでいる街に友人がおらず、「情報戦」である保活においては圧倒的に不利だった。唯一情報をくれた職場の先輩ママからは「あなたの住んでいる市は保活激戦区ですよ」と伝えられ、私は焦っていた。
 なんとしても、息子を保育園に入れなければ。予定通りに職場復帰して、職場に迷惑を掛けないようにしなければ。
 そんな考えで頭がいっぱいだった。
 
 様々な園の見学に行ったところ、同じ「保育園」であれ、「認定こども園」であれ、園によって全く異なる特色を持つことが分かった。
 保育園は働く親の子どもを預かり遊ばせる場所。幼稚園は幼児を教育するところ。漠然とこのようなイメージでいたが、幼稚園を母体とする認定こども園であっても、クラスの集まりは絵本の時間だけで、一日中自由に遊ばせるところもあった。保育園であっても、必ずクラス単位で動き、工作やダンスなどをさせる園もあった。
 
 ある時、ハッとした。保活というのは子どもをただ保育園等に受からせるための活動ではなかった。子にどのような幼児期を過ごさせるか、その背景となる環境を決めることでもあったのだ。
 私がそのことに気づいたのは、ほとんどの園の見学を終え、保育園の申し込み期間を目の前に控えた頃だった。
 
 残されたわずかな時間の中で、私は悩んだ。漠然と、「教育」しない園よりする園の方が良いのではないかと思った。ただ遊ばせるだけだど、小学生になってから集団生活に適応できないのではないかと。しかしここで夫との意見が割れた。夫は、子ども時代くらい沢山遊ばせないとダメだと言った。遊びの中で、自由に想像を膨らませ、個性を伸ばすこと……それこそが息子にとって大事だというのだ。
 夫の意見にも頷けた。私は何も、息子に幼児期から詰め込み教育がしたいわけではない。私自身、親から勉強しろと押し付けられて育ち、辛かったし、同じことを息子にしたくはなかった。
 悩んだ末、自宅から近い保育園を第一希望に選んだ。ただ自由に遊ばせるだけではなく、みんなで一緒に活動する時間があり、幼稚園的な雰囲気も少しある園だった。ここに通っていれば、のびのびと過ごせて、集団生活の中での振舞い方も身につくかもしれないと思った。
 
 第一希望の保育園にあっさり通ったことが分かった時には、拍子抜けした。安堵と同時に、矛盾するようだが、重苦しい気分になった。
 私が、息子の生まれて初めての集団生活の場をここに決めてしまった。その責任の、重さを感じた。
 
 この選択が正しかったのか、何度も何度も悩んだ。息子の将来のことを考えると、やはり幼稚園を母体とする認定こども園に入れて、勉強をたくさん教わったり、習い事を通して特技を作ったりした方がよかったのではないか。
 両親や義両親からも、どうしてその園を選んだのかと聞かれた。
「保育園って昼寝させて終わりなんでしょう?」
「保育園から幼稚園に行くの?」
 そんな他愛もない言葉すらも、責められているように感じた。
 
 息子をどのように教育したいのか、私はしっかり考えることができていただろうか。保育園に受かればよいと思っていなかっただろうか。見学の際、必要な情報収集はできていたのか。
 考えても仕方のない問いがぐるぐると頭を巡った。
 

 教育。あまり好きではない言葉だ。自分が人を教育する側に立っていると思うと、なんだか逃げ出したくなる。
 
 小学4年生の頃、母に連れていかれて受けた全国模試で平均点以下の点数をとって帰ってくると、母は私に大量の問題集と参考書を買い与えた。学校で縄跳びやら水泳やらのテストがあると言うと母は休日に付きっきりで私に練習をさせた。良い点をとれたか、合格はできたか……毎度母に尋ねられ、プレッシャーをかけられるのは苦痛だった。母は専業主婦で時間はたくさんあり、私の教育が趣味のようになっていた。父も祖父も教育者であり、私の教育には関心が高かった。
 
 子どもの素質を伸ばそうと親があれこれ教えること。課題を与えること。ありのままを認めず、高みを目指すように叱咤、鼓舞すること。子どもが不幸にならないように、親がレールを敷くこと。
 私の受けてきた「教育」の中身を分解すると、こんな感じだろうか。
 
 でも、それはともすれば押し付けになる。重圧になる。ありのままを認められない経験によって、ありのままの自分を表現できなくなる。レールを敷かれることで、主体性も奪われる。
 薬と同じで、方法を誤ると時には毒になる。教育とはそういう性質のものではないか。
 「教え育む」というと、絶対的に相手にとって善いことであるかのように聞こえるが、本当だろうか。「教育」という言葉の響きに、嘘くささや、偽善を感じてしまう。
 
 しかし、親になった以上、「教育」する立場から逃れられない。
 
 教育というのは、習い事に行かせるとか、参考書を買い与えるとかいう分かりやすく目に見えるものに限らない。
 保育園での過ごし方、日々の接し方、余暇の使い方。本人のやりたいことをさせるのか、工作をさせるのか。早くから集団行動をさせるのか、自由にするのか。イヤイヤと言われたときに叱りつけるのか、甘やかすのか。テレビを見せるのか、見せないのか。どんな番組を見せるのか、見せないのか……
 何気ない日々の選択ひとつひとつが、将来の子どもの人格を形作ってゆく。その意味で、親になった誰もが教育者である。
 
 いま思えば、親が教育熱心だったことで私が受けた恩恵は多かった。決して裕福な家庭ではなかったので習い事はさせてもらえなかったが、習字もピアノも水泳も一応母親から教えてもらえたので学校で恥ずかしい思いをすることはあまりなかったし、頻繁ではなかったものの美術館や演奏会などに連れていってもらえた経験は私にとって宝物だ。受験して入った学校にはいじめっ子も、不登校の子も不良もいたけれど、授業がままならなくなるほど環境が荒れることはなかった。公立の学校に進学していたら違っていたのかもしれない。
 
 私が親から受けた教育の価値に気づくようになったのは、ここ最近のことだ。結局、どんなに「素晴らしい教育」をしても、子どもがその価値に気づき、与えられたものを自分の手で自分の人生に生かせなければ意味がないのかもしれない。
 だからといって、「結局子ども次第だから」、と子どもの教育のことを何も考えずに育てて良いとも思えない。
 
 何をどうしたら毒になり、どうしたら薬になるのか。その違いがまだ、私にはわからない。わからないまま、親となってしまった。そして、知らぬ間に息子の教育はスタートしてしまっている。
 育児はいつだって手探りだ。育児書にはああしろこうしろと書いてあれど、インターネットには違うことが書いてあるし、昔と今とでは常識は異なる。何が正しいのか。どうすれば子どもにとって「良い」のか。絶対的な正解など無い。
 
 何気ない日々の選択のひとつひとつが息子の将来を形作ってゆくことを思うと、目眩がする。
 今はまだ、何も答えが出ていない。
 しかし、立ち止まっている暇など無い。育児に休みなどないのだ。探り探り、進んで行くしかない。