独白集

今は主にエッセイを書いています。

泡だらけの日々

 

 私はムダが嫌いだ。時間をムダにすることも、お金をムダにすることも不愉快だ。そしてそんな自分の性格を情けなく思っている。

 

 サンクコスト、という言葉がある。すでに費やしてしまったお金や時間、労力などを惜しんで、やめるにやめられなくなる現象のことだ。

 私の生きる原動力は過去のムダの埋め合わせ、失われた未来への未練でしかないのかも知れないと思うことがある。ムダをムダと認めたくないがために、費やしてきたムダの上に新たなムダを重ねていく。

 余計なものを買ったり、時間を持て余したりしてはいけない、回り道は許されない。そうして毎日、何かを取り返そうと意地になって生きている。虚しさだけが募る。

 

 矛盾するようだが、一方で私はムダの多い人生に憧れてもいる。

「何もかも水の泡になるとしても構わない、人生なんて水の泡のようなものなのだから。」

 そう言って開き直って生きてみたいと思う。

 特に必要じゃないけれど、何となく買ってしまった文房具。

 好きな色だなと思って手に取ったタオルは、同じものが家にあった。

 なんとなくいつもと違う道を通って帰りたくなって、道に迷って電車に乗り遅れた。

 億万長者を夢見て宝くじを買った。当たる確率は低いけれど、今日も神様に手を合わせる。

 ……そんなムダだらけの人生、楽しそうじゃないかと思う。

 

 ムダを愛せないのは、きっと聴こえない他者の嘲笑を聴いてしまうから。

 私の人生、私の選択、私の言動を評価しようとする見えない他者の存在を感じてしまうから。

 

 昔は、こう思ってムダに耐えていた。

 「失敗を生かすも殺すも自分自身だし、すべては文章の種になる。私は創ることを人生の目的のひとつにしているから、ムダな経験なんて何ひとつない。」

 でも、それは結局、創ることをやめてしまえば、何もかもムダになるということだ。

 本当の意味で、ムダを受け入れられるようになるには――この人生の無意味さと向き合って、いつか消える日々を愛せるようになるには――あと何年かかるだろう。

 

 水の泡として生きて、泡だらけの人生を笑って進んでゆける強さがほしい。