独白集

今は主にエッセイを書いています。

野良猫のように生きるということ

 永遠に零れ落ちる砂を眺め続けているような、虚しい気持ちから逃れられないまま、書きかけの小説を何度も何度も推敲した。2万字の世界を支配するための器量が足りず、ストーリーは矛盾をはらみ、登場人物は余計なことを喋り、哲学的な言い回しは悪臭を放っている。東京は猛暑だった。サイダーを飲みながら、なすべきことに手を伸ばし、夜を待った。

 遠くから近づいてくる親友は気難しげな表情をしていたが、私を見つけた瞬間に柔和な笑みを見せた。久しぶりの乾杯に心躍らせながら、海の底の色をしたカクテルに口をつけた。彼女の隣にいると時間は滑るように過ぎた。

「個人的な体験が失われている気がする」と彼女は言った。
「メディアが発達したからかな。何をしたって、自分より先に誰かが似たようなことをしていることに気づいてしまう」
「虚しくなるね」と私は言った。
「虚しくなる」と彼女は答えた。

 思いのほか酔いの回りがはやく、「今日、体調が悪いみたい」と告げると、彼女は「もう出ましょう」と言った。無言で私の最寄駅までついてきて、私を見送った。「優しさ」とはこういうものだ、と思った。感謝しつつ、別れを告げた。

 東京の夜はどこもかしこも優しかった。耳元で流れる音楽がMy Bloody ValentineからOasisに切り替わる。恋人たちが橋を渡る。ネオンの隙間から微かに月の光が覗く。この雑踏の中で私の存在は一抹の煙のようなものに過ぎない。それでも世界はこんなに美しく、私もその世界の一部として息をしている。

 ふと塀の上の野良猫が私を見つめているのに気付いた。闇の中にいるはずの猫は、ぼんやりと温かく浮かび上がって見えた。近づいて撫でまわすと猫は気持ちよさそうに目を細めた。

 大きな夢も持たなければ、名誉の意味も知らない。だけどこの猫は陽だまりのぬくもりを知っている。

 ずっと触れたかったものに触れた喜びに包まれ、ああ文章が書きたいと思った。のそのそと闇のなかへ消えていく野良猫を眺めながら、私は一体何に苦しんでいたのだろうと思った。

 2015年7月のとある日のこと。