独白集

今は主にエッセイを書いています。

無意味な散歩

 気分が塞ぎこんでゆく時のあのモヤモヤとした脳味噌の感覚を表現するだけの言葉が足りない。

 偏狭な視界のせいで大切なものをひとつひとつ見過ごしてゆく。どんな刺激も届かない。辛うじて心に浸透してゆく特定の音楽を聴きながら目蓋を閉じる。何も見たくない。

 久しぶりにこの感覚に捕らえられたので、底なし沼に沈む前に、雨のなかへ飛び出し、無意味な散歩をした。

 心の内側にこもってしまうと、部屋は汚れるし煙草の本数は増えるし、何より文章が書けなくなる。外の世界に触れてはじめて、書くべきことが見つかる。濡れた紫陽花の微妙な色合いについて。君がいつか私にくれた腐った思い出の断片。天へと伸びるセイタカアワダチソウの群れの間から顔を出す野良猫と目があった。慌ててスマートフォンを取り出し掲げると猫はさっと立ち退いた。仕方なく心のシャッターを切る。そんな午後だった。

 何も主張したくない。伝えるべき何かを握りしめながら躍起になってタイプし続ける日もあれば、今日のように何ひとつ言うべきことなど見当たらないのに言葉を並べてしまう日もある。頭のなかが静かな日には詩が書きたくなる。

 冷静に考えたら生きていることに意味など無いのだから、生に絶望している人間の方がマトモなのではないかとよく思う。地球上の人間のほとんどは狂っている。狂っていないと生きてゆけないのだろう。何か「価値のあるもの」を探さなければ。つまらないことのために笑い転げていたい。

 

                                 2015.7.6