独白集

今は主にエッセイを書いています。

永遠のさよならの前に

 

 その瞬間はあっという間

 過ぎ去って行くのを知っていながら

 何もできずにいたんだ  

     

「それは永遠」 GRAPEVINE

 

 

 温かな空気がほのかに残る夕暮れ時、仕事を終えた帰り道、泣きたい気分でGRAPEVINEを聴いていた。保育園の花壇にはチューリップやパンジーが咲き誇り、春の訪れが感じられる。春、出会いと別れの季節だ。

 私が泣きたい気分だったのは、とても好きだった人にきちんとお礼ができなかったからだ。その人は職場の上司の、その上司のような関係で、直接一緒に仕事をすることは少ないものの、時に殺伐とした空気にもなる部屋の中で、決して他人の陰口を言わず、凛とした雰囲気を纏っていた。年齢的にはいわゆる「おばさん」に含まれるのだろうが、いつも小綺麗にしており、とても「おばさん」とは呼べない女性だった。ずっと今の仕事を続けるのであれば、将来こんな上司になりたい、と初めて思えた憧れの存在だった。

 それなのに、別れ際には挨拶はしたけれど、それ以上に個人的に何かを渡す、という形ではお礼を形にできなかった。いろんな言い訳は考えつくのだけれど、単に私の精神的な余裕がなさすぎて、そこまで気が回らなかった、もっと言えば忘れていた、というのが恥ずかしながら事実だと思う。呆気なく別れは訪れて、彼女は去ってしまった。もう追いかけていくことはできないし、取り返しはつかない。こんなに感謝していること、密かに憧れていたことを、伝える術がない。

 

 元々、私は他人に気を遣うことが苦手で、人付き合いを避けがちだった。最近、ようやく積極的に振舞えるようになってきたけれど、慣れないことをすると、案の定失敗する。やはり私は人付き合いなんてするものじゃない、と再び自分の殻に閉じこもっているうちに、新しい春が来てしまう。あの人と、もっと話したかった。あの人とも、きっと気が合ったはずなのに。後悔が積み重なるけれど、後悔を糧に一歩踏み出したところで、やっぱりまた後悔する気がする。

 

 人との関係における後悔について、浮かぶのは伯父のことだ。

 

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他者は幻

 子どもの頃、私はよくこんな空想をした。友人や家族、道ですれ違う人たち、すべては幻である、と。

 他者が存在していると信じ切ることができなかった。未だに確信を持てずにいる。だって、証拠なんてどこにもない。

 自分が存在していることは、なんとなく信じられる。私は自分の過去の記憶の断片たちを、ある程度整合性が保たれた状態で想起することができる。机の角に手をぶつけたら痛みを感じるし、珈琲が飲みたくなれば今から台所に行って淹れてくればいい。それは、私が「心」を持った実在する人間だからだ。そういう風に自分の体験を理解することは、私にとっては容易いことだ(実はこの文章を書いている間に、自分の存在への確信が揺らいでしまったのだけれど、ややこしくなりそうなので、考えるのをやめた)。

 だけど、他者が私と同じように「心」を持つ存在であるという証拠はどこにあるのだろう。どこにありますか。どなたか、哲学に精通している方、教えてください。無知な私の直感では、どこにもないように思えます。

 大切な人が今目の前に「存在」しているように見えるとして、その網膜に映った像が幻でないという証拠はどこにあるのか。彼に触れることができたとして、その感覚が偽物でないと言い切れるだろうか。夢の中でだって、触覚は働く。私が今いるのは虚構の世界で、目の前のその人はただの幻で、つまり私は長い夢を見ている途中かもしれない。

 誰かが私を眠らせて、永遠のようなフィクションの世界を体験させているのかも知れない。

 もしこんな話をしたら、「私はここにいるよ、思考も感情も記憶も持っているよ、あなたこそ、幻じゃないかしら」などとあなたは答えるかもしれない。でもその言葉自体、フィクションの台詞であって、他者が実在すると私に思い込ませるための、巧妙な罠かも知れない。

 幼い私は、そんな妄想を大真面目にしていた。これに近い世界の捉え方に、「独我論」と呼ばれるものがあるらしい。勿論幼い私はそんな言葉を知らなかったし、今も詳しくは知らない。ただ、「この世とは何か、人生とは何か」という疑問のために私は頭を悩ませていた。それだけ、暇な子供だったのだ。

 大人になると、暇はなくなるが、別離の体験が増える。
 別離にはふたつの形があるように思う。ひとつは何らかの事情で関係性が途切れてしまう状態。もうひとつは死だ。ここ数年の間に、そのどちらの別離の形も多く体験して、私はまた、他者の存在の不確実性についてあれこれ考えるようになった。

 死によって人の存在は永久に失われる……というのは本当だろうか?夢に故人が登場し、その生々しい存在感に驚いて目を覚ますことがある。その一方で、顔と名前しか知らず、密かに憧れを抱いていたにも関わらず連絡先も交換せずに別れた人がいる。彼とこの世で再び巡り合う確率は、限りなくゼロに近い。私にとって彼の存在は半永久的に失われてしまった。それは彼の死とどう違うのだろう。

 ……考えだすと、きりがない。

 愛する人と別れる苦しみを和らげるために、すべては「幻」、というこのかなしい空想は非常に役に立つ。この世に実在しているのは、本当は私しかいない。全部夢だ。他者はいない。神もいない。だから何も恐れることは無い。悪いことだって出来そうだ。(でも、しない。だって、他者が本当に実在していないという証拠だってないのだから。)


「想像してみて下さい。あなたが今目で追いかけている活字の向こう側に、本当に人間がいるのでしょうか。いいえ、そこには誰も存在しない。あなたを取り囲むすべての刺激ははフィクション、幻です。」

 虚しいですか。虚しいですね。でもちょっと、楽になりませんか。

2015.10.16 

 

野良猫のように生きるということ

 永遠に零れ落ちる砂を眺め続けているような、虚しい気持ちから逃れられないまま、書きかけの小説を何度も何度も推敲した。2万字の世界を支配するための器量が足りず、ストーリーは矛盾をはらみ、登場人物は余計なことを喋り、哲学的な言い回しは悪臭を放っている。東京は猛暑だった。サイダーを飲みながら、なすべきことに手を伸ばし、夜を待った。

 遠くから近づいてくる親友は気難しげな表情をしていたが、私を見つけた瞬間に柔和な笑みを見せた。久しぶりの乾杯に心躍らせながら、海の底の色をしたカクテルに口をつけた。彼女の隣にいると時間は滑るように過ぎた。

「個人的な体験が失われている気がする」と彼女は言った。
「メディアが発達したからかな。何をしたって、自分より先に誰かが似たようなことをしていることに気づいてしまう」
「虚しくなるね」と私は言った。
「虚しくなる」と彼女は答えた。

 思いのほか酔いの回りがはやく、「今日、体調が悪いみたい」と告げると、彼女は「もう出ましょう」と言った。無言で私の最寄駅までついてきて、私を見送った。「優しさ」とはこういうものだ、と思った。感謝しつつ、別れを告げた。

 東京の夜はどこもかしこも優しかった。耳元で流れる音楽がMy Bloody ValentineからOasisに切り替わる。恋人たちが橋を渡る。ネオンの隙間から微かに月の光が覗く。この雑踏の中で私の存在は一抹の煙のようなものに過ぎない。それでも世界はこんなに美しく、私もその世界の一部として息をしている。

 ふと塀の上の野良猫が私を見つめているのに気付いた。闇の中にいるはずの猫は、ぼんやりと温かく浮かび上がって見えた。近づいて撫でまわすと猫は気持ちよさそうに目を細めた。

 大きな夢も持たなければ、名誉の意味も知らない。だけどこの猫は陽だまりのぬくもりを知っている。

 ずっと触れたかったものに触れた喜びに包まれ、ああ文章が書きたいと思った。のそのそと闇のなかへ消えていく野良猫を眺めながら、私は一体何に苦しんでいたのだろうと思った。

 2015年7月のとある日のこと。

 

「ふつう」を捨てる

 「30になって心境の変化はあった?」と聞かれた時、微酔いで「恥ずかしながら、今更人付き合いって大切だなと思うようになったよ。」と即答した自分がいた。学生の頃の私だったらあり得ない発言だ。他人からの評価ばかり気にしていたあの頃の私にとって、人付き合いは恐怖でしかなかった。端的に言えば、私には社会性というものが欠如していた。周りの人たちの「ふつう」を知らなかったし、「ふつう」ではない自分に対して、気が狂いそうなほどの羞恥心を抱いていた。「ふつう」ではない自分が「ふつう」の人たちと交際しても受け入れられるはずがないし、孤立するのが当たり前で、一匹狼として生きていくしかないのだと思っていた。
 
 そんな私は、最近、とある文章を読んで考え込んだ。なな様の「ふつうがくるしい」という文章( ふつうがくるしい - nov14b’s blog (hatenablog.com) )だ。なな様とは、ツイッター(と、かつて呼ばれていた世界)で知り合った。鋭いことを美しい文章で表現される方で、以前からブログをよく拝読していた。

 「ふつうがくるしい」の冒頭に書かれているような、幼い頃「ふつう」の世界に溶け込めなかった居心地の悪い記憶は私にもある。私も大学生の頃までは、みんなの知っている芸能人も芸人も知らず、会話についていけなかったものだ。ファミレスにもカラオケにもゲームセンターにもほとんど行ったことがなく、そのような場に行く機会があるとどのように振舞えばよいか分からず、よく周りから失笑されていた。習い事をした経験もなく、人前で何かを発表したり発言したりすることも極度に苦手であった(これが悪化して、「社交不安障害」、いわゆる「あがり症」のような症状を呈するようになったのだが、この話については以前 社交不安障害(SAD)について(前編 私の体験した苦痛)|土萠めざめ (note.com))、 社交不安障害(SAD)について(後編 私に苦痛をもたらしたもの)|土萠めざめ (note.com) にものすごい熱量で書き殴ったので参照いただけたらありがたい。)。

 深く共感を憶える一方、読み進めていくうちに「ふつうがくるしい」の筆者と私とは何か根本的に異なる部分があるとも感じた。もちろん筆者の体験や主張自体を否定しているわけでは全くない。同じように「ふつう」という概念に苦しんできた私たちだけれど、その苦悩の中身にはおそらく異なる背景があり、それぞれの答えがある。そこで私も、自分を今日まで縛りつけてきた「ふつう」という概念に向き合ってみようと思った。


 「ふつうがくるしい」のなな様は、「ふつう」に生きられない原因をご自身の生まれ持った特性に見出しているように見受けられる。一方、私は「ふつう」に生きられなかった原因をこれまで環境のせいにしてきた。
 両親ともにこだわりが強く、テレビを自由に見せてはもらえなかったし、漫画もお笑いもロック音楽も「くだらない」と遠ざけられた。母は、体重や食品添加物を過度に気にする人だったので、市販のスナック菓子を食べたりファミレスに行ったりすることもなかった。極端な学歴志向で、放課後に友人と遊ぶのも禁止され、家の手伝いはしなくてよいから勉強だけしているようにと言われていた。
 実家を出る頃には自分の育った家庭について懐疑的な見方をするようになった。遅れてきた反抗期のようなもので、こんな原家族のもとで抑圧されて育った私が「ふつう」の人間になれるはずがないと思っていた。随分あとになって、自分の育った家庭は外から見れば「ふつう」の部類だったのかもしれないと思い直したが、それでも、「くだらない人たちとくだらない話をしている暇があれば、少しでも勉強して『上』を目指すように。」と言われて育った私にとって、目の前の「ふつう」の世界で生きるのは苦しかったと今でも思う。親から求められるものと、家庭の外の世界で求められるものとの間の大きな齟齬。親から認められたいという欲求を優先した結果、私はクラスの変わり者となった。
 しかし「ふつう」になれない原因が環境にあるということは、環境を変えれば「ふつう」になれるということでもある。大学生になり、親元を離れ、自分の興味関心に初めてじっくりと向き合い、同じ興味や趣味を持つ人たちとつながった。マイナーな仕事に就き、職場で知り合った人と結婚し、出産した。今や私を取り巻く環境は与えられたものではなく、私自身がつかんだものとなった。そのような環境の中で、今の私は「ふつう」に生きているようにも思える。
 私が「ふつう」に近づけたのは、興味関心が幅広い夫と生活している影響も大きい。流行っていることや、職場のマナーなど、分からないことはたいてい夫に聞けば教えてもらえる。職業柄、興味関心が近い人たちが周りにたくさんおり、変わり者も多いので、私が多少世間知らずで流行りに疎くても「浮かない」という事情もある。

 こうした人生を選んだことが良いことだったのか、そうではないのかは、難しい問題だと感じている。幸せだと思う点は、毎日心穏やかに過ごせていることだ。未だに空気を読んだり気の利いたことを言ったりするのは苦手だが、みんなの「ふつう」になんとなく擬態して、「ふつう」の空気に溶け込んで、特に浮くわけでもいじめられるわけでもなく生きている。

 けれども、今の私には「個性」がない。「ふつう」になろうとしすぎて、私は「透明」になってしまった。もはや自分が何が好きで、何が苦手だったのか思い出せない。
 かつて私はお笑いも映画も苦手だったのだけれど、今はどちらも好きだし、テレビをだらだらと垂れ流すことにも慣れてしまった。CMを見ては、物欲が刺激されて、気づいたら浪費をしている。僅かな余暇にどの本を読むか、自分の興味や直感ではなく、流行しているかどうかで決めてしまう。宣伝、流行、口コミに踊らされる、自分の頭で考えない怠惰な人間。それが、今の私である……というと言いすぎかもしれないが、少なくとも昔に比べてそうなりつつある。そんな自分に嫌気がさすのだ。

 学生の頃の私は、「ふつう」になれない引け目から、「ふつう」の人たちのことを嫌悪していた節がある。それどころか、引け目をこじらせてとがった結果、「テレビを観ない、流行に興味のない、他人とは違う価値観を持っているワタシ」に対する、微かな誇りのようなものも抱いていた。しかし、そんな価値観も親から植えつけられたものだとしたら、私の個性っていったいどこにあるのだろう。
 考えてみると、「ふつう」ではなかった頃の私にブレない「芯」のようなものがあれば、私は苦しんでいないはずなのだ。周りから変わり者と呼ばれても、「これが私なのだ。」と開き直ってしまえばよかっただけだったのに、それができなかったのは、「芯」がなかったからに違いない。
 「芯」とは、揺るぎない「自分らしさ」のことだ。「親に言われたから。」ではなく、「ふつうはこうするから。」でもなく、「私はこうしたい。だってこれが私の個性だから。」と自信を持って言えたことが、これまでどれほどあっただろうか。

 要するに、私には「自分」がなかったために、かつては親の言いなりになって周囲から浮き、「ふつう」になりたいと願ってもがいていたのかもしれない。そして、自らが選んだ環境で「ふつう」に擬態し、心の安寧を得ることができたが、一方で、ますます「自分」を見失っている。これが、私の苦しみの正体のような気がする。 


 あえてもの凄く陳腐な言い方をすると、今の私がすべきなのは「自分探し」なのだと思う。「自分探し」というワードは一昔前に流行った記憶があるが、かつての私は嫌いだった。「本当の自分」なんてどこにもいないし、そんなものを探して何になるのか、と思っていた。
 だけど、現実ではありもしない「自分」を「探す」ことを求められることが多々ある。「あなたはどう思うのか。」「あなたはどうしたいのか。」と。すると、私のように「相手にどう思われるか。」「この場で私がすべきことはなにか。」と他者基準で物を考えて行動してしまう人間は、フリーズしてしまう。そして、「ふつうはどうなのか。」と「ふつう」にすがって答えを出そうとする。
 そうではなくて、自分はどう考えるのか、自分はどうしたいのか、ハッキリ答えられるような人間にならなければ、私はこのまま透明人間になってしまう気がする。
 だから、私は自分が何者なのか知る必要がある。どこかできっぱりと、「ふつうの私」を捨てる必要がある。そういう意味での「自分探し」がしたいのだ。
 本にしても映画にしても、流行していることをきっかけに興味を持っても構わないが、流行だけ追いかけて終わるのではなく、作品を鑑賞して自分はどう感じたのか事細かに言語化できるようになりたい。そして、それを誰かに伝えたい。
 自分を探すためには、こうしてパソコンに向かって読み手がどう感じるか考えながら文章を紡いだり、様々な人と会話しながら価値観のすれ違いに気づいたり、そういった他者との触れ合いが必要な気がする。
 30になってようやく人付き合いに目を向けるようになった理由のひとつに、他者と話すことで自分を再発見したい、という気持ちもあるのだ。


 

 ” Don't Trust Over Thirty ” という言葉の語源はよく知らないが、「30を超えた人間の言うことは信用するな」という意味らしい。なるほど、「ふつう」に迎合して、自分の意見も持たずにヘラヘラと楽して生きている今の私は、20の頃の私から見たら「信用ならない」人間だろうなと悲しく思う。
 若かった頃の私には、「ふつう」に溶け込めない苦しみと、「私は他人とは違う。」という微かな誇りの両方があった。苦しみを手放すとともに、誇りまで失くしてしまった今、私は再び誇りを取り戻したいと願っている。そうすれば、もう「ふつう」に苦しむことはないはずだ。私は今、自ら望んで「ふつう」を手放そうとしているのだから。



 

 あとがきのようなもの

 

 「『ふつう』を捨てる」と書きながら「ふつう」ってなんだろうなと思った。この世に「ふつうの人」なんて存在しない。自分以外の人たちを勝手に「ふつう」かそうでないかカテゴライズして見ているだけで、その基準って実は曖昧だ。
 「ふつう」になれないことに苦しんでいた過去の私も、別の誰かからは「ふつう」に溶け込んでいるように見えていたかもしれない。それでも、私が苦しんでいたことは事実だ。

 「ふつう」ということばには「多数派である」という意味合いと「正常である」という意味合いの二つに分解できる気がする。前者は極めて主観的なものだと思うし、後者になると医学的な問題にもなり得ると思うが、おそらくお医者様だってその境界線をはっきり引くのは難しいだろう。「ふつう」か否かは主観的なものと考えて、ありのままの自分の気持ちを綴ってみた。
 
 朝井リョウさんの「正欲」を読んだ時に気付かされたことだが、多様性を認め合おうと叫ばれているこの時代だからこそ、かえって「自分はふつうなのか、そうではないのか」という人々の自意識が高まっている気がする。「ふつう」ってなんだろう……考えれば考えるほど霧の中を彷徨っている気分になる。

無意味な散歩

 気分が塞ぎこんでゆく時のあのモヤモヤとした脳味噌の感覚を表現するだけの言葉が足りない。

 偏狭な視界のせいで大切なものをひとつひとつ見過ごしてゆく。どんな刺激も届かない。辛うじて心に浸透してゆく特定の音楽を聴きながら目蓋を閉じる。何も見たくない。

 久しぶりにこの感覚に捕らえられたので、底なし沼に沈む前に、雨のなかへ飛び出し、無意味な散歩をした。

 心の内側にこもってしまうと、部屋は汚れるし煙草の本数は増えるし、何より文章が書けなくなる。外の世界に触れてはじめて、書くべきことが見つかる。濡れた紫陽花の微妙な色合いについて。君がいつか私にくれた腐った思い出の断片。天へと伸びるセイタカアワダチソウの群れの間から顔を出す野良猫と目があった。慌ててスマートフォンを取り出し掲げると猫はさっと立ち退いた。仕方なく心のシャッターを切る。そんな午後だった。

 何も主張したくない。伝えるべき何かを握りしめながら躍起になってタイプし続ける日もあれば、今日のように何ひとつ言うべきことなど見当たらないのに言葉を並べてしまう日もある。頭のなかが静かな日には詩が書きたくなる。

 冷静に考えたら生きていることに意味など無いのだから、生に絶望している人間の方がマトモなのではないかとよく思う。地球上の人間のほとんどは狂っている。狂っていないと生きてゆけないのだろう。何か「価値のあるもの」を探さなければ。つまらないことのために笑い転げていたい。

 

                                 2015.7.6

「いい子にしていてね」

 最近、息子の瞬きが多い。もしも音が鳴るなら、パチパチ、という可愛らしい音ではなく、ギュッ、という痛々しい音がすると思う。両目をつぶるのと同時に、口元がギュッと上がるのだ。
 チックじゃないかと疑っている。チック、とは自分の意思とは関係なく体の一部が動いてしまう精神的な病気だ。子どもに多く、神経質な人がなるらしい。ストレスが原因になるという説もあるし、そうではないという説もある。
 もしもストレスが原因だったら、私のせいだろうかとふと思う。
 
 親から受けた教育の影響は大きい。知ってはいたけれど、子どもを持って初めて、そのことを痛感した。
 息子を夫に任せて買い物に出かけるとき、私は「いい子にしていてね。」と言って息子をなでる。深い理由もなく、呪文を唱えるように。
 そんな私に、夫はある日、「いい子ってなんだろうなあ。」と言った。そういえば、夫は一人で外出するときに息子に「いい子にしていてね。」とは決して言わない。「夕方には帰るからね。じゃあね。」と言って、自分が必ず戻ってくることを伝えて、挨拶をする。父親の姿が見えなくなることで、息子が不安にならないように配慮しているのだ。
 そんな夫から見たら、私が必ず「いい子にしていてね。」と言って家を出るのは不思議に見えたのだろう。聞かれて初めて、私自身も首をかしげた。なぜ私は「いい子にしていてね。」と息子に言うのだろう。記憶を辿って、はっとした。それは、私がいつも父親から言われていた言葉だったからだ。
 専業主婦の母に娘を任せて、仕事に出掛ける際、父は必ず、私に「いい子にしていてね。」と言った。そうして私の頭を撫でた。私にとってはそれが当たり前で、だから息子にも無意識に、同じようにしたのだった。
 
 
 「別に、いい子じゃなくていい。」
 「勉強ができなくてもいい。」
 「大学に行かなくてもいい。」
 「健康で大きくなってくれれば、それでいい。」 
 息子の教育に関する旦那の言葉に、時々胸が疼く。私は、そんな風には思えない。息子には、やっぱり「いい子」でいてほしい。勉強ができてほしいし、大学に行ってほしい。何か得意なことを見つけて、伸ばしてほしい。私の好きな音楽を好きになってほしい。楽器が演奏できるようになってほしい。本当はそう思っている。私は、息子に期待している。息子が自分の思い通りに育ってくれることを願っている。そんな自分は、多分、間違っている。
 
 息子がわがままを言って泣く時、私はとてもイライラしてしまう。何度も夜泣きをされて、寝かしつけるのが嫌になり、頭から毛布をかぶって息子を拒絶したこともある。ダメな母親だと分かっている。
 
 私はなぜいい子になろうとしたのだろう。なぜ、勉強して、大学に行こうと思ったのだろう。なぜ、上を目指したのだろう。
 それは、親からそう期待されたからだ。
 暗に「周りより努力しなさい。」「周りより上に行きなさい。」と言われて育った。その言葉の裏に、「努力していない人を見下しなさい。」「努力ができないあなたの価値は、認めない。」という意味が隠れていることに今更ながら気づく。私はその声に洗脳されて生きていたのだと、今になれば分かる。高邁な理想や夢を追って努力しているように見せかけて、本当は、親から愛されたかっただけだった。
 でも、洗脳されたからこそ、私はがむしゃらに努力ができた。努力したからこそつかむことのできた未来に、私は今生きている。
 
 私は息子を洗脳したくない。でも、息子には幸せに生きてほしい。私の思う「幸せ」と、彼自身の「幸せ」がぴったり重なりあえばいい。でも、ふたつの「幸せ」がずれてしまった場合、私が彼を想ってしたことは、「洗脳」になるのかもしれない。
 
 今日も息子は保育園で靴を脱ぎたがらず大泣きし、夜には風呂に入りたがらずまた泣き叫んだ。身体をぜんぶ使って、ありったけのエネルギーで親にNOをつきつける。これこそが健全に成長していること、親との信頼関係が築けていることの証なのだと聞くが、本当だろうか。
 必死に言葉を探し、息子の気持ちを代弁しようと声を掛けると、ピタリと泣き止むことも増えた。彼が身体を全部、エネルギーを全部使うなら、私も身体を全部、エネルギーを全部使って彼のNOを受け止めなければならない。この先、ずっと私は受け止められるだろうか。もし彼が、私の思う「いい子」にならなかったとしても。
 
 

眠りについて

 眠りに悩まされる人生だ、とつくづく思う。この頃は、若い頃の睡眠不足を埋め合わせるように、長く長く眠る日々が続いている。眠れないのも、眠りすぎてしまうのも、困ったものだ。

 

 昔は眠るのが苦手だった。寝つくのに時間がかかったし、夢の中でも嫌な思いをすることばかりだった。高校生の頃は受験のために寝る間も惜しんで勉強し、眠っている時間をムダだと思っていた。するといつからか毎晩のように金縛りに遭うようになり、数々の幻覚を倒してからやっと眠りにつけたかと思えばすぐ朝が来た。睡眠不足のために寝坊し、遅刻まですることもあった。大学生になってからも、不眠は続いた。目を閉じればすぐに眠りに落ちることができるようになったのは、社会人になってからのことだ。

 人並みに眠れるようになっても、眠るのが苦手なことに変わりはなかった。見る夢といえば、災害の夢、遅刻する夢、喧嘩する夢が圧倒的に多く、幸せな夢だったなぁ、と余韻に浸れる朝などは滅多に来なかった。結婚すると、夫婦で並んで眠る幸せを味わったが、おやすみと言って電気を消しても、必ず夫が先にいびきをかきはじめるので、暗闇の中に一人取り残されたかのように感じて寂しかった。夫は日々ファンタジックな夢を見ているらしく、寝ぼけ眼で「夢の中で空を飛んで楽しかった」みたいな話を聞かせてくれるが、私はそれが羨ましかった。

 息子が生まれると、状況は一変した。まだ赤ん坊の間は、夜泣きの対処のために眠れない日々が続いたが、息子が一晩続けて眠り続けるようになると、私までぐっすり眠るようになった。というのも、添い寝をして息子を寝かしつけていると、気がついた時には自分も朝まで眠ってしまっているのだ。

 寝かしつけしながら寝ちゃうんです、と軽い気持ちで未婚の同世代男性に話したことがあるが、あからさまに「意味がわからない」といった顔をされて傷ついた。確かにこれは育児経験者ではないとわからない話なのかもしれない。寝かしつけが楽な子どもと、そうでない子どもがいるらしいので、子どもの性格にもよるのだろう。

 息子は私に似たのか眠るのが下手で、音や光に敏感なので、入眠までに時間がかかる。寝室は真っ暗にして、隣の部屋のテレビも電気も消さなければならない。私の腕枕でないと寝ないので、熟睡するまで息子に貸した腕を動かすことはできない。こうした事情があって、寝かしつけの際には、真っ暗闇の静寂のなか、息子にピタリと寄り添って30分近く過ごさないといけない。仕事を終えて疲れている状態で、最愛の息子の体温を感じながら、何の刺激もない空間でぼんやりしていて、眠るなと言われても無理がある。必死で翌日の仕事の段取りを考えている日や、誰かに腹を立てている日や、何か眠れない程の悩み事があるときでないと、いともたやすく眠りに落ちてしまう。

 こうして、母親が朝まで一緒に寝ていることが当たり前になってしまった息子は、私が隣にいないことに気づくと大泣きで寝室から飛び出してくる。真夜中にふと目が覚めて、慌てて起き上がり、コンタクトを外したり、歯磨きをしたりしていると、息子が眠い目をこすって洗面所までやってくる。母親の不在を察知する息子の能力には驚かされる。結局、私は夜9時から朝7時まで見えない鎖で寝室につながれてしまうのだ。

 もう半年以上は、眠りたくないのに朝まで眠ってしまう夜を繰り返している。昔不眠症を経験している私にとって、これは贅沢な悩みではあるのだが、疲れて仕事から帰宅し、大急ぎで夕飯を準備して、息子を風呂に入れ、一緒に布団に入り、気づいたら朝、という生活のどこにも、ひとりで過ごす時間は無く、辛いものがある。こうして文章を書いている今も暗闇の中にいて、私の左腕に息子が抱きついて寝息を立てている。

 仕事を持ち帰ってきた日など、絶対に寝かしつけ後にやらなければならないことがある日は、なんとか気合いで起きることができる。しかし、本を読みたいとか、テレビを見たいとか、ただリラックスしたいと思っている日には全く起きられない。本当は、私は一人の時間を欲していないのかもしれないとすら思う。可愛い息子にしがみつかれて眠ることが、気持ちよくて仕方がないという本音もある。息子に貸した腕を無理矢理返してもらってまで、一人の時間にやりたいことが見つからないのだ。

 

 今日はクリスマスで、年明けはもうすぐだ。今年は、仕事に円滑に復帰すること、資格を取ること、など分かりやすい目標があった。しかし来年は、生活にこれといった変化がない。こんな時こそ、新しいことにチャレンジすべきだと思うが、ひとりの時間が皆無である以上、何に手を出すのも躊躇われる。目標が持てない……人生が停滞している感覚が拭えない。
 私はもうすぐ30になる。しかしこのままでは、毎日眠りこけている間に、30代もあっという間に終わってしまいそうだ。
 何もしてないわけではない。私は息子に毎晩ぬくもりという愛情を注いでいるのだ。だけど見方を変えれば、ただ怠けて寝ているだけともいえる。幸せな悩みなのかもしれない。でも自分の時間がほしい。母親としてだけではなく、仕事以外で自分の人生を生きたい。そう願いながら、疲れ果ててまた暗い夢を見る。